推薦系入試は本当にズルいのか?
本日は、総合型選抜入試を含めた一般以外の受験がズルいのか、ということについて話をしていきます。
最近でこそ少し減ったような気もしますが、以前はよく、「一般で最後まで頑張っている受験生はエラいが、総合型や指定校推薦生は早くに終わるうえに勉強していなくてズルい」というような声を聞きました。AO入試の時代も、「AO入試は一芸入試で勉強ができない」といった声をよく聞きました。また、指定校推薦入試は、学校の成績が良いだけで勉強があまりできないのに、難関大学にいくのがおかしいというような声もよく聞きます。一所懸命に勉強をしている人が受からない大学に、書類と面接と小論だけで受かるのはおかしいというのです。
こうしたことに答える前にまず大前提として、総合型選抜入試が「学力以外の能力を測る入試」であることを改めて確認しておきましょう。その背景には能力=学力といった神話が崩れたという社会背景があると思います。
さて、先に述べた批判ですが、二つの意味でおかしな批判であると思います。一つは、学校の成績が良いだけで難関大学に受かるのであれば、批判する人も高校時代に成績をとれば良いのでは?という疑問です。成績をとるチャンスは平等に与えられています。そもそも、良い成績をとり続けることは大変であり、その大変なことを努力し続けた人を、受験生になった段階で頑張りだした、要領よく学習できる人が批判するのは首を傾けざるを得ません。
最初に書きましたように、総合型選抜入試は「学力以外の能力を測る入試」です。それは、たとえば、社会に出たときに、要領の良い人よりも愚直に努力をできる人が評価されることがあるように、大学がそうした人を評価するとしても何もおかしなことはないということです。そもそも学力のみによって、人の能力が測れるという考えが、必ずしも正しいわけではありません。
考えてみてください。能力というもの自体が社会的なものです。たとえば、百メートル走を世界一速く走れる人間は、その能力を称えられますが、その競技自体が社会的な存在です。というのも、もし百メートルを競争するのであれば、必ずしも平地でなく、垂直に百メートル登る競技であったとしても構わないはずです。しかし、残念ながら建物を100メートル登るスピードが速かったとしても、評価されることはないでしょう。それは、その人の能力の不足が原因ではなく、そうした競技が社会で認められていないということに起因します。あるいは、仮に現在の百メートル走の世界記録を上回る人がいたとしても、社会に認められなければ(社会のルールに則ってタイムを測らなければ)、その記録は、存在していないに等しいでしょう。要するに、能力を測るのが社会なのですから、社会が変われば求められる「能力」も変わるということです。
また、書類と面接だけで受かると思っているのであれば、それは書類を作成する難しさと手間を分かっていないといえます。高校生の段階でいったん、自分の夢を描き、その夢を実現するのに必要なこと、勉強しなければならないことを考え、調べる。そのうえで、自分にその適正があるかどうかも、自問していきながら少しずつ、ネタを集めることは、想像以上に時間と手間がかかることです。もちろん、ネタが集まったとしても、実際に書類を書き始めると何十回との書き直しがあり、その過程は不安との闘いです。周りの友達が確実に覚えるべき英単語を増やしていく中、自分は正解のない書類を作り上げていかなければならないのですから、その不安やプレッシャーは一般受験に劣るわけではりません。
私自身は、いくつもの理由があるにせよ、その一つには実社会の要請に従って、これまでの入試方式ではなく総合型選抜入試の類が生まれたと考えています。ペーパーテストがいくらできたとしても、海外の人たちと仕事を取り合う過程で勝てるとは限りません。日本の経済力が世界でも地位が高ければ、日本の価値観だけで生きていったとしても困ることはありませんが、経済力が低下するにつれて、世界標準に合わせていかなければならないのは当然の理であるといえるでしょう。
そのように考えますと、総合型選抜入試はズルい入試方法どころから、今後の時代もっともっと国をあげてレベルアップを図らねばならない入試方式だと思います。
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