【津田塾の今】かつての憧れ女子大は、どう変わった?
【1】偏差値の変化
保護者の方々、あるいはその世代より上の方にとっては、おそらく津田塾といえば、女子大の最高峰といったイメージがあるのではないでしょうか。ひょっとすると今もそのイメージを持たれているかたも多いかもしれません。しかし、随分と前から昔とは世間的な評価がだいぶ異なるようになってきました。津田塾がどう変わったのかをまずは偏差値の変化を通して見てみましょう。
【約40年前(1980年代前半〜中盤)】
- 津田塾大学(学芸学部・英文学科など)
- 偏差値:65〜68
- 旧帝大レベルの共学の難関学部に迫る高偏差値
- 津田塾大学は、早慶(特に早稲田の文系)に次ぐ最上位の女子大という位置づけ
- 共学が当たり前でない時代、「女性エリートの象徴」だった
【現在(2025年入試)】
- 津田塾大学(学芸学部・英語英文学科など)
- 偏差値:52〜56(河合塾・駿台・ベネッセなど各模試平均)
- 偏差値はMARCHより明確に下がり、成蹊・成城・獨協あたりと並ぶ位置に。
※偏差値は目安です。模試や時代によって異なります
まとめると
→ 偏差値で約10〜15ポイントダウン!
→ 大学ランク感覚で言うと、旧帝大クラスから中堅私大上位クラスへ
→ 「かつては超難関、今は一般的な上位私大」という位置づけに変化
【2】昔の津田塾
津田塾大学は1900年、津田梅子によって設立されました。まだ女性が自由に教育を受けられない時代に英語とリベラルアーツを重視する超先進的な教育を行い、“女子の東大”とも呼ばれる存在になりました。そしてバブル期までは、『津田塾ならどこにでも就職できる』というような神話すらありました。
当時の津田塾の強み
- 日本初の本格的女子英語学校(当時は「英語といえば津田塾」)
- 海外留学者を多数輩出
- 知性と品格の象徴だった
- 就職にも直結していた(大手企業が津田塾女子を取り合った)
- 女子の進学先自体が少なかった時代背景もある(東大や国立大学がまだ男子中心)
【3】人気低下の理由
ところが1990年代以降、時代は変わります。かつては偏差値65以上で早慶と並び称されるほどの超名門だった津田塾大学が、なぜ今、偏差値は50台になったのでしょうか?そして、本当に津田塾は衰退したのでしょうか?
偏差値低下の理由
- 共学志向の拡大
⇒女子だけの環境よりも、男女共学の大学を選ぶ受験生が増加。早慶、上智・ICU・MARCHの共学化された人気学部に流れる傾向が強まった。
- 実学・キャリア志向の台頭
⇒ビジネス・国際・情報・看護などの実学系学部がある大学が人気に。津田塾は学芸学部中心で、学部の選択肢が少ないのが弱み。
- 女子大人気の低下
⇒少子化とともに、女子大学全体のブランド力が低下。保護者世代と違い、「女子大安定・安心」のイメージが若年層では薄れている。
- 入試方式の柔軟性の差
⇒MARCHや共立女子などは多様な入試方式(共テ利用・英検利用・総合型)で広く受験生を集めている一方、津田塾はやや保守的で受験の間口が狭い。
上記のよう原因があてはまる津田塾をはじめとした多くの伝統女子大は、苦戦を強いられました。当然、それにともなって偏差値も、かつての『超エリート校』から、いわゆる“中堅校”の位置へと変わっていきます。
【4】そして、現状
しかし、このまま凋落が続くのでしょうか。津田塾はただ衰退していったわけではありません。今では時代に合わせて、大きな変革を進めています。
変革ポイント
- 総合政策学部を新設(文理融合型)
- データサイエンス教育の強化
- ICT・英語教育のアップデート
- キャリア支援の充実(少人数制・きめ細かいサポート)
もともとの英語教育の強みを生かしながら、現代のリーダーシップ教育に進化しようとしています。今、津田塾は“小さいけれど個性の強い女子大”へと生まれ変わっていると言えるでしょう。
5【まとめ・これから】
こうした変化を遂げた津田塾は、昔のブランドにしがみつくのではなく、“これからの時代に必要な女性”を育てる大学へと変わっています。背景には、大学選びは、単なる“偏差値”だけでなく、『どんな力をつけたいか』で選ぶ時代に変わってきたということもあるでしょう。
津田塾は、
- 英語を伸ばしたい
- 世界で活躍したい
- 少人数できめ細かい教育を受けたい
そんな人にとって、今も間違いなく魅力的な選択肢だと言えるでしょう。
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