小論 志望理由書 自分で気づかない変な日本語例
カテゴリー:志望理由書の書き方2024.08.31
夏期講習期間は、毎日高校生の文章を添削しています。大学受験に必要な課題レポートであったり、志望理由書だったり、あるいは小論文だったりの文章です。多くの文章を添削していくうちに、よくある「少しおかしな文」がどういうものであるのか分かってきたので、今日はそのことについて話をしたいと思います。実際に大学入試のために文章を書いている人は、参考にしてみてください。
まず、「少しおかしな文」とはどういう文なのかということを、いくつかの例を挙げて説明してみますがその前に、「少しおかしな文」は英作文でも頻出するので、まずは英語の話から始めてみます。
マーク・ピーターセンという方が書いた『日本人の英語』というベストセラーがあるのですが、そこによくある日本人の英作文に次のようなものを挙げていました。
彼は東京の大学で指導していたので、学生に英作を書かせると以下に似たような文を書く人が多いとのことです。
I’m from Shizuoka. So I live alone in an apartment.
ここで出てくるsoは「だから」という意味で使われています。訳すとこのような感じです。
私は静岡出身であるため、一人でアパートに住んでいる。
この段階で、これの何がおかしいか分からない人もいるでしょう。そういう人は、因果関係を反対に考えると分かりやすくなります。
私は一人でアパートに住んでいる。なぜなら、静岡出身であるためだ。
これが変な文であることはお分かりいただけると思います。要するに、因果関係が低い二つの文を因果関係が明確なときに使うSoを使っているからです。本来であれば以下のような文の際に使用します。
The Italian restaurant was closed today, so I went to a sushi bar instead.
イタリアンレストランが閉まっていたため、私は寿司屋に行った。
こちらは因果関係がはっきりとしています。反対にしても文意が通じます。
私は寿司屋に行った。なぜなら、イタリアンレストランが閉まっていたためだ。
日本語は、英語ほどこうした因果関係を始めとして論理的なつながりに対してうるさくない言語だと言われていますが、それでも論理に飛躍があると違和感のある文章になります。それでは「少し変な日本語」を見てみましょう。
例文①
現在の日本の教育制度は、日本語を母語としない外国人児童に対して十分なサポートをしていると言いがたい。そこで、私はスクールソーシャルワーカーとなってこの問題を解決したい。
例文②
オープンキャンパスでフランス語の授業を受けた際、私の知的好奇心が騒いだ。そのため、二年次の秋に行われるパリ大学への交換留学に参加したい。
例文③
これから世界はますます多様化していくだろう。しかし、日本は協調性を重視するあまり寛容さが失われている。
上記すべてに共通して言えることは、一見すると何がおかしいのか気づきにくいのですが、よく読んでみると、接続詞の使い方が少しおかしいということです。
たとえば、一つ目の文章を見ると、一文目では日本の教育制度の不備を訴えています。そして次の文で自分がこの問題を解決したいと主張しています。その二つの文をつないでいるのが「そこで」という接続詞です。「そこで」というのは、「そういうわけで」という意味ですから、直訳すると、
日本の教育制度が充分に機能していないことが理由となって私はこの問題を解決したい。
ということになります。これだとおかしいということに気づくと思います。日本の教育制度というものと、私が対等の関係であたかも、日本の教育制度の機能不全を私が解決できる問題のように書かれているからです。接続詞云々の前に、根本的な原因は情報不足と言えそうですので、もう少し丁寧に説明をしなければならないのです。
現在の日本の教育制度は、日本語を母語としない外国人児童に対して十分なサポートをしていると言いがたい。たとえば、アメリカでは英語を話せない児童に対して、・・・・(略)。また、オーストラリアでは・・・・(略)。こうした他の先進諸国が、どういう制度で外国人児童の言語問題をサポートしているのかを貴学で学び、将来はスクールソーシャルワーカーとなって、日本にいる外国人児童をサポートできる存在になりたいと考えています。
日本の制度不足を伝えたあとに、比較対象としてアメリカとオーストラリアを加えました。特に最後は接続詞をいれなくても、流れが自然であれば十分に伝わるものになります。また解決するとせずに、サポートできる存在になりたい、と書けばあまりおかしな印象にはなりません。
次の文章を見てみましょう。
オープンキャンパスでフランス語の授業を受けた際、私の知的好奇心が騒いだ。そのため、二年次の秋に行われるパリ大学への交換留学に参加したい。
この文は、そもそも無理やりオープンキャンパスのことと、大学の留学制度をつないでいるような印象を受けます。まず、「そのため」というのは「それが原因(理由)となって」という意味です。直訳すると以下のようになります。
知的好奇心が騒いだことが理由となって、交換留学に参加したい。
論理展開だけ見ますと、何もおかしなことはありませんが、何か表現が大げさな印象を受けないでしょうか。その理由はおそらく、前文が単にフランス語の授業を受けて刺激を受けたということしか書かれていないからです。知的な刺激を受けたのであれば、具体的に書くべきです。授業を受けたことと交換留学をすることには大きな隔たりがありますから、その隔たりを埋める、何か説明がいるのです。
小さなころからバレーを習ってきた私にとって、フランス語は憧れの言語でした。オープンキャンパスでフランス語の授業を受けた際に、小さいころに誓った「必ずフランス語を話せるようになる!」という自分の夢を思い出しました。貴学に入学できれば二年次の秋に行われるパリ大学への交換留学に何としてでも参加したいと強い思いをもっています。
ここでも、説明を加えただけで流れが自然になり、最後に接続詞をいれなくても、十分に伝わることが分かると思います。
さて、最後の文は少し毛色が違います。
これから世界はますます多様化していくだろう。しかし、日本は協調性を重視するあまり寛容さが失われている。
これは一読しただけで、逆説になっていないことに気づくはずです。こういうミスを自分はしないと思っている人は多いかもしれませんが、逆説になっていない「しかし」を使用する人は思いのほか多いのです。自分で文を書くと、頭の中に論理展開ができているので、省略をしても何となく分かってしまうことが原因です。ただし、正しい逆説の使い方は簡単で、述部の部分が前文の述部に対して正しく逆説になっているかどうかだけに気をつかえば良いのです。
これから世界はますます多様化していくだろう。しかし、日本社会は協調性を重視するあまり、まだまだ多様化しているとは言いがたい。
このようにすれば、「多様化していく」と「多様化していない」という反対の意味する文をつなぐ言葉として「しかし」が機能します。
三つ「少しおかしな日本語例」を見ましたが、こうした接続詞の使い方をする人が多いのには理由があると思います。
もともと、日本語は英語をはじめとした西洋の言語と比べると論理よりも情緒を重視していると言われてきました。たとえば、文豪の谷崎はその著書のなかで接続詞を多用すると無駄な言葉が多くなり、文の重みがなくなるため、あまり使用しないことを薦めました。また若いころから美文家として有名だった三島由紀夫も接続詞を文頭に置くことで、文の格調が失われると、接続詞の使用を戒めています。
一方で、現代では文章の論理構造を明らかにするために、接続詞を頭にもってきて、読み手に分かりやすくすることは推奨される傾向があります。たとえば、「相手に伝わるメールの書き方」といったことをGoogleで検索してみると、おそらく接続詞を推奨しているサイトが多いと思います。こうした現代の流れを受けて、高校生が接続詞を多用しているのだと思います。接続詞は文と文の関係を論理的につなぐ役割を果たしますから、論理的な文章を書くことを目的とする場合、接続詞を分かりやすく使うことは重要ですが、文章というのは論理だけで説得力を増すものでもありません。
今回挙げた例も三つのうち二つは、もともとあった接続詞を削り、説明を増やしただけです。そのほうが読み手に伝わりやすいというのは実感できたのではないでしょうか。
青山学院大学理工学部情報テクノロジー学科ってどんなところ?
カテゴリー:学校紹介2024.08.27
卒塾生の美咲さんが出演してくれました。青学の理工学部情報テクノロジー学科について色々と聞いてみました。
【中学受験】小6の夏期講習で成績が伸びるタイプとは?
カテゴリー:中学受験2024.08.23
夏期講習も終盤になってきました。
毎年、9月頭の模試や10月の模試で成績が伸びる生徒が必ずいます。これはおそらくどこの塾でもそうでしょう。しかし、一方で伸びない人もいるというのもどこでも一緒だと思います。一体成績の伸びる人と伸びない人は何が異なるのでしょうか?
天王山の戦いを制するために、特に保護者の方は夏期講習で偏差値を1でも伸ばすのに必死だと思いますので、そのヒントになることがあれば幸いです。
ふだんから長時間の学習時間が必要とはいえ、中学受験でもっとも学習時間を確保できるのは、小6の夏休み、そう夏期講習です。この小6の夏期講習は物理的に長時間であるということだけではなく、小4や小5とは勉強に向かう気持ちも大きく異なります。
長時間の学習時間が確保できれば、その時間を弱点補強や復習にあてることができ、結果として成績が伸びるというのはだれでも分かることです。要するに時間をうまく使えれば誰だって成績が上がるという話です。
ところが、実際はそうはなりません。だからといって、学習時間が大きく異なるわけでもありません。というのも、学習時間の確保は特殊な例を除いて全員に平等に与えられているからです。したがって、みんなが上手に夏を過ごすことができれば、全員学力がつくことになり、偏差値に変化は生じないことになります。
もちろん、現実はそんなことはありません。学力差は開く一方である、というのが毎年の結果を見ての感想です。
差が広がる最大の理由は、長時間確保できる勉強時間をどうやって過ごしているかが大きく異なるから、というしごくシンプルな理由です。最大のポイントは集中力です。
自塾では小6生は週に5日、毎日6時間~8時間授業がありますが、集中して取り組めている生徒とそうでない生徒とでは取り組む姿勢が、そもそもまったく異なります。ほとんど金太郎飴のように、集中している生徒はどこの時間帯をとっても集中している一方で、集中できない生徒はいつも気が散漫の状態です。時間が長くなるため、学習の進みも2倍3倍といったものではなく、大げさではなく本当に10倍、20倍の違いが生じます。それが40日前後続くわけですから、その差はかなり大きくなります。当然、夏休み後の模試に大きな差が生じるようになるのです。
ところで、集中できる人とそうでない人との違いというのは、集中力があるかどうかとは実は別問題だと思います。というのも、集中できない人が必ずしも、集中力がないわけではないからです。勉強に集中して取り組めなくても、自分の好きなことであれば集中できる人は多いことは分かると思います。ゲームをすると多くの男の子はとんでもない集中力を発揮するでしょう。
ですから問題はそうではなく、好き・嫌いにかかわらず、しなければならないことに対して集中できるかどうかではないでしょうか。
このことに関しましては、長年講師として小学生とかかわってきて思うことがあります。それは、能力うんぬんとは違った気質的なことが大きくかかわっているのではないかということです。長時間にわたって集中力を発揮できる人には次の2パターンあるのではないかと思っています。もちろん、すべて当てはまるとは思いませんが、小6の夏期講習で集中力が持続して結果を出す人はおよそこのどちらかに当てはまると思っています。
- 負けず嫌い
とにかく人に負けたくない、という気持ちが強く、その気持ちですべてを乗り切る。勉強に対する集中というよりも、負けたくないという気持ちが前面に出ている。
- 内弁慶
内弁慶の人は外地蔵であることが多く、塾でおとなしくしながら淡々と勉強ができる人が多い。外交的でだれとでも話せる人は、すぐに友達を作って話をするので、淡々と勉強することができない傾向が強い。内弁慶の人も家では話し相手がいるために集中して取り組めないが、外では話さない分、集中して取り組める。
過去の生徒を振り返って夏期講習で劇的に成績が伸びたのは上記の二つのどちらかのパターンが多かったと記憶します。
ただし、この二つはどちらかというと気質的なことですので変えることはできないと思っています。そういうとガッカリされる方も多いかもしれませんが、これはあくまでも小学6年生の話です。高校受験や大学受験では話がまた変わってきます。また、今お話した二つの気質に当てはまらない場合でも、成績が伸びる人はいると思いますので、諦めることなくできることをしていきましょう。
台風による休講のお知らせ
カテゴリー:お知らせ2024.08.15
明日16日(金)は台風7号が関東地方を直撃するとの予報が出ております。皆様の安全の確保のため、明日はすべての授業を休講といたします。ご理解とご協力をいただきますようお願い申し上げます。なお、明日の朝の時点で予報が変わりましても、休校の予定は変わりませんのでお間違いのないようご注意ください。
振替授業は漢検が実施される21日(水)を予定しております。下記をご覧になっていただき、ご希望される時間帯をお伝えください。
・中学受験6年生⇒13時~19時(4コマ目はございません)。連絡も不要です。
・漢検を受検されない方⇒10時半~ご希望の時間帯
・漢検を受検される方⇒13時~ご希望の時間帯
・中高生は基本的に17時~、19時~のみ。
・21日(水)が終日ダメな方⇒候補日をいくつかお伝えください。
ご希望の日程が調整できないこともございますので、その場合は日を改めていたくこともございます。予めご了承ください。
以上となります。なお、明日は自習室も閉鎖し、スタッフもお休みとさせていただきます。お電話やLINEでのご連絡にはご返信できませんので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。
Kip学伸
中学時代に優秀だった人ほど陥るワナ
カテゴリー:大学受験2024.08.01
都道府県によってテスト形式や点数配分は異なるものの、公立の高校受験において、中学校の成績が小さくない比率でかかわってくるという点において、全国の高校受験は一緒だと言えます。提出物を忘れることなく提出して、テスト前だけに徹夜をするのではなく、日ごろからコツコツと全科目の学習ができている人が良い成績を修められます。ただし、ここで言う「良い成績」とは、その人の学力的な能力に比べてということです。要するに、もし成績が実力テストのようなもので測るとしたら、もう少しその成績は下がるであろうということです。中学の成績はそうした学力的なもの以外の要素が大きいのです。もちろん中には本当に実力もある人もいるでしょう。
こういった人たちの強みは、自分の学習スタイルが既に確立されていることにあります。ところが、高校ではこの強みが、弱みに転換することがあるのです。今日はそういった話をしたいと思います。
学習面で言いますと、高校と中学の最大の違いは学ぶできことの量と質にあります。まずは量から考えてみましょう。
中学時代は「数学」や「英語」を学びますが、高校では「数Ⅰ」「数A」となり、英語も「英語コミュニケーション」と「論理・表現」と別れます。単純に学ぶべき量がまず増えます。ちなみに、学習指導要領が変わって「コミュニケーション英語」が「英語コミュニケーション」になったのですが、習得すべき語彙数も1800から2500に増えました。ただでさえ、高校では中学よりも単語数が増えるのに、指導要領の改訂にともなって、より覚えなければならない単語の量も増えたのです。変わるのは量だけではありません。
たとえば、中3では二次関数を学びますが、原点を通るものに限定されています。ところが、高校ではそうとは限らなくなります。もちろん当たり前に難しくなるのです。中3と高1で理解力が大きく変わるわけではありません。しかし、学ぶ内容がより難しくなるのですから、理解をするのにより時間がかかるというのは、だれでも分かると思います。
さて、では中学時代に真面目に全科目をコツコツと学習していた人が、同じ要領で高校時代も学習をするとどうなるのでしょうか?
残念ながら成績が下がる傾向が強いと言えます。中学時代と同じように進めようと思っても、まず量が多く、そのうえ難しくなるのですから、同じようにできずにテストで結果が出なくなるのは当然です。勉強量を少し増やした程度ではとても太刀打ちできません。ポイントは、中学時代ではコツコツすることで成績をとれたために、同じノリで高校時代の勉強をこなそうとすると、うまくいかなくなってしまうということです。
では反対に高校時代に成績が伸びるのはどういう人でしょうか?一つは中学時代から、高校時代を意識した勉強をしていた人です。たとえば、中学時代であれば英語を学ぶ際に、教科書を丸暗記したり、試験範囲の文法事項を丸暗記したりしてしまえば、点数がとれることもめずらしくありません。(to 不定詞の話)コツコツと学習できる人なかには、このような学習方法をとる人が少なくありません。反対に教科書を丸暗記したり、文法を丸暗記したりはしていなくても、文法の理解を深める学習をしていれば、そのときのテストの結果に必ずしも結びつかなくても、その理解のうえに次に学ぶべき文法が積みあがっていきますので、高校時代に開花することも珍しくありません。ただ、これは本人の問題というよりも、指導者の問題であることが多いのです。ですから、中学時代にどういう先生に学ぶのかというのが重要になってきます。公立中学の定期テストをコピーして、翌年以降の生徒に暗記させ、定期テストで点数をとらせるという方針の塾もありますが、そういう勉強法は結局王道の勉強法には勝てません。
また、英語と数学を高校入学時までにある程度先取り学習をしている人もうまく学習の波に乗れることが多いと言えます。お伝えしたとおり、高校では学ぶべきことが多いうえに難しいのですから、高校に入る前に簡単な問題で構わないので一通り、英語であれば文法をすべて、数学であれば数Ⅰと数Aを終わらせてしまうのです。そうすれば、学校の授業を受ける際に、一度学んだことであるため、理解が深まるのです。英数に余裕をもって臨めれば、他の科目に時間をかけられるようになりますので、結果的に全体的な成績が上がるようになります。
以上のことを踏まえますと、高1の1学期で中学ほどの成績が修められなかった人は、この夏に頑張れば良いということになります。英語は丸暗記という方法を止めて、文法事項を嫌がらずに徹底的に理解する。そして、高校で学ぶべき単元を一通り終わらせる。数学も数Ⅰと数Aを終わらせる。それらができれば、二学期以降変わってくると思います。