都立高校作文対策出張授業(動画)
カテゴリー:ブログ2020.10.08
毎月一度、山手線の田端にある志学ゼミさんで出張授業をしております。
都立高校で出題される200字作文を書けるようにするための授業です。
教室で授業をする以外にも活動をおこなっています、ということを知っていただくために撮影しました。よかったらご視聴ください。
出張授業
カテゴリー:国語2019.03.11
3月9日の土曜日、田端の志学ゼミさんに出張授業に行ってまいりました。
中3生40人相手に、作文の極意をお伝えする授業です。
多くの生徒さんが目をキラキラと輝かせながら熱心に聴いている姿が印象的でした。
文章を書く際は必ず「読み手を想定すること」
という前提から始まり、その一環として
「正しい書き言葉で書く」ことまでを学習しました。
「なので」は使わない。
「~たり」と書いたら次の動詞にも「~たり」と書く。
「やる」は対象が人間以外の生物のときに使う。
植物に水をやる
ペットにエサをやる
×宿題をやる ⇒宿題をする
×部活をやる ⇒部活動をおこなう
「ろんりde国語」販売セミナー@品川シーズンテラスカンファランス
カテゴリー:国語2018.09.11
9月9日(日) 港区にある品川シーズンテラスカンファレンスにて
つむぎ出版社主催のもと、Kip開発のオリジナルテキスト「ろんりde 国語」販売のセミナーが
開催されました。100名収容の会場は満席で、大変活気あふれるセミナーでした。
東京会場にもかかわらす、東北・中部からも出席をしていただき
塾長先生方の熱意を感じ大変感動しております。
セミナー前からテキストに関するお問い合わせが多く
セミナー後も早く手に入れたいという熱心な先生方の想いに応えられうように、
更に新テキスト作成に努力をしていきたいと決意をしております。
来週は大阪会場ですので、宜しくお願いいたします。
↓講演直前の会場風景
他のアジア諸国に比べ、日本にノーベル賞受賞者が多いのはなぜか?
カテゴリー:国語2017.10.19
英語教育が小学生から必修になり、今まで以上に英語に力をいれているご家庭も増えていると思います。Kipでは地域柄帰国子女がたくさん通塾しています。
海外で生活することのメリットはたくさんありますが、幼少期に親の仕事で海外生活を
余儀なくされた彼らにとって一番の悩みは日本語です。
帰国してから、受験で一番苦しむ科目は国語です。
英語でのコミュニケーション能力はあっても、母語である日本語がきちんと理解できていないと、英語力にも影響がでてきます。
私たちは、英語も日本語も中途半端になってしまうことを憂慮してきました。
そこでkipでは、長年母語である国語の力をつけるために全力を傾注してきました。
「どうすれば本物の国語力をつけることができるのか」と試行錯誤を繰り返しながら、
オリジナル国語教材も作成しました。自塾では使用していましたが、ご要望が多いことから製本化して現在他の塾でも使用していただいております。嬉しいことに大変好評です。
2019年1月に某出版社から本格的に増刷、全国デビューすることになりました。
英語はもちろん大事です。でも日本人である私たちにとってそれ以上に大事なのは
母語である日本語です。
「ノーベル化学賞受賞者の白川秀樹筑波大名誉教授は外国人記者の「他のアジア諸国と比べ日本にノーベル賞受賞者が多いのは何故ですか?」という質問を受けたときとっさに「日本語で書かれた教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えたそうです。
本当にそうなのか、独りよがりな考え方なのではないかと、思索を続けていたそうです。
そんな折、白川教授の考え方を確固たるものとしたのは、作家の丸谷才一さんが書いた「考えるための道具としての日本語」という文章。言語を「思考のための道具」と「伝達のための道具」と区別し、前者がなおざりにされているのではないかと指摘するもので、教授はまさに我が意を得たりと感じたのだそうです。
実際、物理学、化学、医学・生理学などの賞は、アジア諸国の中で日本人の比率が高く、教授はこれについて「母語でしっかり学び、深く核心を突く考えを身に付けることが重要」だと語っています。」 Mugenndaiより抜粋
言語が伝達のための道具であることはだれでも知っていることですが
言語を「思考のための道具」「考えるための道具としての日本語」と捉えることで
長年の国語教育に対する私たちの思いが間違っていなかったと確信することができました。
嬉しい記事でした。
M
オリジナルテキスト 主語と述語
カテゴリー:国語2017.02.07
Kip学伸では、国語のオリジナルテキストを作成している。
オリジナルテキストの目的は簡単にいうと、「文章を論理的に読み書きできるようにする」だ。
国語が苦手な子にとって、長文は苦痛以外の何物でもない。それが顕著になるのが高学年になってからだ。特に中学受験を始めると、5年生の段階で相当な長文が出題される。
ただでさえ国語が苦手であるうえに、そのような長文を読み解かなくてはならないとなると、その時点で挫折することが少なくない。
そうしたことを考慮したうえで作ってあるので、とにかく文章は短く、面白くできている。
たとえば、次のような問題だ。
猿(さる)は 桃(もも)太郎(たろう)から もらった きびだんごに たっぷり マヨネーズを かけて 食(た)べた。
この文章の主語と述語を答え、それらを繋いで一文にする。
ここでのポイントは、述語や主語を文法的に教えないことだ。述語を、「主語の動作や状態を表す言葉」と教えても、小学生にはチンプンカンプンである。
よって、Kip学伸では「述語は文の最後」と教えている。そして、あるレベルまではオリジナルテキストの文章はすべて、述語を文末においている。
そのうえで、主語を訊く。上の文でいうと述語は最後の「食べた」になる。そのうえで「だれが食べたの?」と訊けば、「猿は」という主語が自動的に導き出せる。
つまり、主語⇒述語の順序で考えるよりも、述語⇒主語で考えた方が分かりやすい。
もちろん、長文に出てくる文章がすべてそのようにできているわけではないが、とにかく「最後に述語でそこから主語を探す」ということを徹底化することで、基本的な型ができる。この型が身につけば、文章を書く際にも応用できる。
主語と述語を見つけていくオリジナルテキストを作成中にいくつもの困難が立ちはだかった。
その最大のものは、自分たちで文章を書いていて、主語が分からないような文章が作られていくことだった。
たとえば、
ライオンはメスが狩りをする。
といった場合、「(狩りを)する」が述語であるのは誰でも分かるが、その主語はライオン?メス?
同様の例文はいくつも出てきた。
ぼくは足が痛い。
問題を解決するため、勉強が始まったのだが、その中で面白い人を発見した。
三上彰という言語学者でこんな面白い本を書いている。その名もずばり
『ゾウは鼻が長い』
その主張は面白く、日本語は英語のような主語・述語の関係で文が構造化されているわけではないと。
上の文でいうと「ゾウ」というのは主題であるというのだ。
なかなか面白い説ではあったが、現場で指導することを考えるとどうも腑に落ちなかった。われわれの求めているのは、文法的な正解・不正解よりも文章が分かりやすくなるための主語・述語探しでなければならない。学習を通して、頭がより混乱してしまっては、意味がなくなってします。
多くの本を読んだが、結局納得できるものはなかったので、自力で解決するしかなかった。
そして、ようやく解決することができた。
ゾウは鼻が長い
さあ、この文の主語と述語をどうやって考えるかだが、こうやって考えると辻褄があう。
ゾウは鼻が長い(動物だ)。
つまり、上記の文には大きな述語が抜けていると考えるのだ。
そうすると、「長い」に対する主語は当然「鼻が」になる。
同様に前に挙げた例文で考えてみよう。
ライオンはメスが狩りをする
も、後ろに「動物だ」という述語が省かれていると考えるのだ。
この場合も「(狩りを)する」という述語に対する主語は「メスが」になる。
ぼくは足が痛い
の場合は、「と感じる」が抜けているのだ。ここでも「痛い」に対する主語は「足が」となる。
しかし、すべてに共通しているのは大きな述語が省かれていることだ。それらの大きな述語に対する主語は文頭にある「ゾウは」、「ライオンは」、「ぼくは」となる。
つまり、日本語は主語のみでなく、しばしば述語が省略されるのだ。
このことは英語で考えてみるともう少しすっきりとする。
前項で、日本語は主語のみならず述語もしばしば欠落してしまうことを説明した。
そして、そのことは英語と比較するとよくわかることも書いた。
ライオンはメスが狩りをする
これを直訳しようと思うと、不可能である。なぜなら言葉が足りないからだ。
無理に直訳すると(こうした言い方をするかしないかは別にして)
A lion is the animal that females hunt.
となる。英語の文型でいうと第2文系、S V C というやつだ。
ここで名詞である「C]にあたるのが、「動物」という言葉であり、
that以下がこの「動物」という言葉を修飾する。
日本語ではここでの被修飾語がしばしば省略される。
前に挙げた
ゾウは鼻が長いも
An elephant is the animal which has a long trunk.
となるはずだ。
つまり、日本語にも節(修飾語に主語・述語がある)があるのをドリル形式で学習していくことで、
後々英語を学習していくときに役立つ。
国語の力とは何か?
カテゴリー:国語2016.10.07
国語の偏差値が上がらない。文章が読めない。文章が書けない・・・国語で悩んでいる方は、それぞれに悩みを抱えていると思いますが、そもそも国語力とは何でしょうか。究極的にまとめると以下の二点だと思います。
・文章を読む力=読解力
・文章を書く力=記述力
これらの力は、単に国語の偏差値を上げるだけのものではありません。われわれが生きていく上で、必須の能力です。文章を理解するということは、相手の主張を理解するということであり、また、文章を書く力というのは、単に国語の記述問題を如才なくこなすということではなく、自分の主張を論理的かつ正確な日本語で相手に伝える能力のことです。こう考えますと、これら二つの能力とはコミュニケーション能力であると換言することができるでしょう。つまり、国語の力をつけるというは、コミュニケーション能力を養成することに他ならないのです。
では、この二つの能力はどうすれば養成されるのでしょうか。
「文章を読む力」、「文章を書く力」ともに問われるのは要約です。文章を要約するには、筆者の主張を理解する「読解力」と、それをまとめて書く「記述力」が不可欠だからです。さらにいうと要約は、生活上のコミュニケーションにも不可欠な能力です。
たとえば、母親が学校から帰宅した子どもに
「今日、何があったの?」
と質問したとします。ここでもし、子どもが朝から起こった出来事の詳細を順次説明しだしたら、その子どもは母親の意図をくみ取っていないと言えるでしょう。母親が聞きたいのは、「何か伝えるようなできごとがあったのか」ということです。
この意図を読み取り、かいつまんで分かるように伝える能力こそが要約力であり、かつ本物の国語力なのです。
つまり、文章を正しく要約することができれば、必然的に国語の力はつくのです。とはいえ、作文の苦手な人が、いきなり「読書感想文を書いてごらん」と言われても混乱するように、国語の苦手な人が、いきなり「要約を書いてごらん」と言われても「どうやって書けば良いか分からない」というのが本音だと思います。
また、一口に要約といっても筆者の主張がはっきりと書かれている説明文の場合と、主題が直接は書かれないような物語文の場合は、方法が異なってきます。Kip学伸のオリジナルテキストでは、説明文の要約をおこなっていきます。
説明文の要約に至るまでに必要な学習訓練として考え出されたのが以下の3つのステップです。これらは一口でいうと、論理力です。
・主語・述語、助詞を理解することで一文を正確に読み書きする力。
・接続詞を理解することで、文章と文章の関係を理解する力を養成。
・指示語を理解することで、複雑な文章を明瞭化する力。
中学受験で国語が苦手な人に多いのは、読む行為そのものが苦手であるにもかかわらず、受験をするために、長く、難しい文章を読まされ、それが全く理解できず、しかも理解できないまま次々に授業や模試が進んでいき、ますますできなくなっていくというパターンです。
どのような長文であれ一文ずつ構成されています。つまり、まず初めにつけなければならない力は長文を読むことではなく、一文を正確に読むことなのです。そのために、主語・述語を理解する必要があります。英語のSとVを指導するように進めると効果的です。
帰国子女に多いパターンとして、英語のSとVは理解できるのにそれが日本語になると分からなくなるのが挙げられます。そういう人の場合はまず日本語を英語に翻訳させることで、主語・述語の構造が見えてきます。実際、何人もの帰国子女生がKip学伸オリジナルテキストのシリーズを学習することで著しく国語力を伸ばしました。
Kip学伸オリジナルテキストでは、述語が複数出てくるまで、主語・述語問題は全て述語から書くように作られています。日本語では述語が最後にくるため、その方が簡単だからです。述語が書いたあとに「誰が?」「何が?」とツッコミを入れながら考えると、主語が探し出せるようになります。
つぎに、それらのバラバラである一文がどのように繋がっていくかを理解しなければなりません。これが接続詞の学習です。接続詞の学習によって文章を丁寧に読む習慣がつきます。なぜなら、接続詞が入る前後の文章をきちんと読まなければ、接続詞が入れられないからです。通常の国語テキストですと、接続詞問題は、一つの長文のなかに三つ、四つ記号問題で入っているだけであるため、本文を丁寧に読まずに適当に記号を書く人もいます。Kip学伸オリジナルテキストでは最初は、全文書かなければならなくなっているため、問題をいい加減にこなすことはできないようになっています。
また接続詞は、たんに文と文の関係を示すだけではありません。読み手に「ここからは重要ですよ」というメッセージや「ここからは今説明したことの例示をしますよ」ということを伝える働きもあります。こうしたことを理解することで、どこが重要な文章なのかが分かるようになるのです。
さらに文章が三文・四文と長くなってきますと「あの・この・それ・・・」といった指示語が増えてきます。これらの指示語が何を指しているのかが理解できると複雑な文章が頭のなかで明瞭化されます。